コメントはまだありません
コメントをどうぞ
trackback URI
「国歌斉唱で起立の卒業生、1人だけ 教員指示か」話題!‐教育ニュース:イザ!
式の後、一部保護者から事態を問題視する声が寄せられ、学校側は市教委に報告。府教委によると、学校の調査に対し一部の教員は「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」と話しているという。
なんか、嫌な気分ですね。第一、「自分で判断しなさい」なんて事自体ありえないように思うんですが。
「今日の2時間目は数学です。授業に出るかサボるかは自分で判断しなさい。」
「授業中、しずかにするか、おしゃべりするか自分で判断しなさい。」
「先生の言う事をきくか、反発するか、自分で判断しなさい。」
そして、生徒は一人を除き『わざわざ着席』した訳です。それって、ほんとうに生徒が判断したの?
国歌斉唱させないように、つまり『教師による国歌の強制』があったと見るのが、普通の感覚だと思います。
生徒が自主的に歌わなかったとも考える余地もわずかですがあるとは思います。私にしても初めて社会主義を知った若かりしころ、これこそ理想郷だと思っていましたから。純真で正義感が強く、不平等が絶対悪だと思っていたあのころなら、国歌なんてくそ食らえと思っていたかもしれません。
とまあ、自分の感情はこのへんにして・・・
よく問題になる内心の自由について考えてみたいと思います。
内心の自由は侵す事ができないとされています。ではその内心の自由とは何か。
それは、「心の中では何を考え何を思ってもかまわない。それにより罰せられる事はない。また何人と雖もそれを強制することはできない」というものです。
たとえば心の中で「誰々を明日殺してやる」と思っても犯罪になりません。(もっとも、超能力でもなければ相手の心の内は知りえませんが)
しかし口に出すとそれはもう「内心」ではありません。「誰々を明日殺す」と言えば脅迫罪です。
昨今の報道を見るにつけ、「内心の自由」がどんどん肥大化しているように感じます。
IZAの記事にも、
瀬戸和夫校長は「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」と話している。
こんなことが書かれていますが、これは内心の自由への侵害と言えるか疑問です。もっとも中学生という時期に教師による洗脳まがいが行われているのであれば、内心の自由への侵害とする余地もあるように思いますが。
いわんや、『国歌斉唱の強制は内心の自由への侵害』なんていう論調はとうてい理解できません。
コメントはまだありません
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| « 4月 | ||||||
| 1 | 2 | 3 | ||||
| 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
| 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
| 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
| 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |