東海道五十七次 ひらかた2

Posted By ブログ主

東海道と言えば、『五十三次』ですね。
でも、実は五十七次だったのです!?

東海道は江戸・日本橋から京都・三条大橋をつなぐ街道ですが、その間に53の宿(しゅく)がありました。
これは有名ですね。安藤広重の浮世絵も有名です。
(安藤広重、東海道五十三次と言えば、『永谷園のお茶漬け』と言う方、他にいませんか?)

しかし、この東海道は天下の台所・大坂まで延長されました。そして、江戸・大坂間で宿が57あったことから、東海道五十七次とも呼ばれます。

もっとも京都・大坂間は京街道とか大坂街道と呼ばれることもあったようで、東海道に含めるべきか否かは私にはよくわかりません。

ただ、宿には、馬◎頭、人足◎人をいつでも調達できるよう準備をしなければならないという決まりがあったようですが、東海道の宿は、他の街道(例えば中山道)の宿に比べ、多くの馬・人足が必要だったようです。そして、京都・大坂間の宿は東海道と同数の馬・人足を必要としました。
この規模から考えても、東海道の一部と言って差し支えないことは間違いなさそうです。

さて、枚方ですが、この東海道五十七次の五十六番目の宿にあたります。
宿のあった場所は、京阪電車 枚方公園駅と枚方市駅の間で、京阪沿線と淀川にはさまれています。
東海道(京街道)の名残は今も残っており、例えば浄念寺という寺の前の道はクランク状になっています。突然道が直角に折れ、20mほどでまた直角に折れます。
宿には参勤交代のため大名が陣をはることもあり、もし道が一直線だったら敵の一気呵成の攻撃に対処できないため、わざわざスピードを殺すためクランク状になっているそうです。
また、枚方宿には紀州候(徳川御三家のひとつ)が参勤交代のおり陣をはっており、その規模の大きさがうかがい知れます。

私が生まれた頃は、まだまだ昔ながらの町屋が多く残っていましたが、今は本当に少なくなりました。枚方市も保存に乗り出しているようですが、再現は難しいでしょう。

そんなことを考えつつ、今日はこの辺で。

2007/3/24 土曜日  

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